山口県萩市在住の「食」の講師
水津真澄です。
主人と四人の子どもの胃袋を満たすため✨日々奮闘しております🎵
千葉県の埋め立て地で育った私ですが、ご縁あって海と山に囲まれた自然豊かな萩市へお嫁に参りました(o^-^o)
わたしがなぜ、講師を目指そうとしたのか
少し長いのですが、お話にお付き合いいただけたら幸せですヽ(´▽`)/
私が「食」にはじめて興味を持ったのは小学生の時。雑誌に載っているような美味しそうなご飯をお腹一杯食べてみたい❗という食いしん坊なところからスタートしました。
化学調味料や不自然なものを嫌う料理上手な母の元で育ち、母の知り合いで当時では珍しい自然農法をしていた農家へ年に何度かお手伝いに行かせてもらい、「医食同源」という言葉を知ったのは中学生の時でした。
「食べ物が身体を作る」
そう知りながらも当時ハマっていたのはお菓子作り。中高生の頃は大量にお菓子を作り食べるを繰り返し…‥…‥
身体の悲鳴はアレルギーとして爆発💣
肘膝の内側はブツブツ湿疹と痒みと吹き出る膿😭
花粉症も酷くなりました。
2000年9月埼玉県で長男を出産。
よく泣く子どもでした。
乳児湿疹が酷くいつまでたってもよくならない。
寝たかと思ってもすぐに起きる息子。
初めての育児に「こんなに泣くのは母乳が足りないのでは⁉」と思った私は、生後3ヶ月の息子に市販の調乳ミルクを飲ませてみました。
その瞬間のアナフィラキシーショックは今でも忘れません。
呼吸がうまくできず意識が遠くなっていく息子。アレルギー物質であるミルクを飲み込み、それが通った部分が腫れ上がったのでしょう。
私の腕の中で力無く、ぐったりとして目を閉じていく息子に死ぬのではないかという恐怖。
もう少し量が多かったら命はなかったかもしれません。
血液検査でアレルゲンを調べ、私と息子の除去食の毎日が始まりました。
息子が二歳の時知り合った先輩アレルギーっ子ママから頂いた何冊かの本の中にあったのが桜沢里真さんの
「マクロビオティック料理」
それが私とマクロビオティックの出会いです。
長男の除去しないといけない食材にピッタリと当てはまったマクロビオティック。
それからは独学で学びました。
その時に一番苦労したのは地域の食材が手に入らないどころか、国産の食品を手に入れる事の難しさ、そして、無農薬や有機農法のお野菜が欲しくても無いことでした。
息子の年齢と共に、ほんの少しはよくなっていく肌色ですが、痒みで二時間以上集中して寝ることができない生活は四年間続きました。
水疱瘡にかかったときはアレルギーの湿疹もあり身体中が腫れ上がりました。
少しでも環境のよいところで息子を楽にしてあげたい一心で決めた山口県への引越し。
2004年秋 主人の実家のある萩市へ。
暮らし始めて一ヶ月で目に見えてよくなる肌の湿疹。集中して寝られるようになり、徐々に朝まで寝られるようになりました。
空気のよさ
水のよさ
自宅で姑が栽培している新鮮な減農薬のお野菜
すべてが長男のアレルギーにとってよい方向にむいたのでしょう。
十歳まで除去食でしたが、その後は何でも食べられるようになり、湿疹と膿で全身の肌が赤く腫れていた彼を忘れるくらい肌が美しくなりました。
食べ物が身体を作り、身体を作る食べ物は自然が作り出すもの。
人の身体は自然が作るものであり、やはり不自然なものを細胞は嫌うのではないかと感じたアレルギー長男との生活。
わたしたちが自然の中の一つのパーツであるならば自然に添い野生に戻るのが一番よいのかもしれません(;´д`)💦
現代に生きる私たち、さすがにそんな勇気はありません。
てすが、少しづつチェンジすることは可能なのではないでしょうか?
私の学んだ事をお伝えしていきたいと思ったのが講師になろうと思ったきっかけです。
まだまだ学びの途中である未熟な私ですが、ご縁ある方々と一緒に考えていけたら幸せです。
よろしくおねがいします。
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