マクロビオティックとの出会いと息子のアレルギー

私がマクロビオティックを学び始めたきっかけは、長男のアレルギーでした。


産まれてからずっと、抱っこしていないと寝ることのできない子

それがうちの長男でした。


(写真は…20年前のデジタルで残っている写真の限界がこれ(笑)携帯で撮ったのでしょうね~)


乳児湿疹がひどいねと言われ、新生児はそんなものだと言われ、そのようなものだと抱っこし続けた。


泣き止まない3カ月間に母乳が足りないのではないかとおもい、哺乳瓶でミルクを飲ませようとすると激しく嫌がった。


ちょうど湯上りには湯冷ましを匙で飲めるようになった3カ月ごろ、匙で与えた調乳ミルクにアナフラキシーショック


軌道が腫れ、呼吸が止まりかけたことで発覚した食物アレルギーでした。


呼吸が止まりかけ、意識が遠のく息子を抱え、産院へ着いた頃には少し症状はよくなっていた。


お年を召したおじいちゃん先生は聴診器を息子の胸に当てると、風邪をこじらせて肺炎を起こしていると私たち夫婦に告げました。


納得のいかなかった私は翌日アレルギー専門の大きな病院へ連れていき、わかったことはたくさんのアレルギーの原因を持っているという事だった。


考えてみれば入院中産院では母乳を何故か絞って捨てる事を言われ、彼はアレルギーを持ちながらも母乳ではなくアレルギーの原因である粉ミルクを飲み続けていた。


元々のアレルギーはもちろんだが、重症とも言えないアレルギーが、度々飲まされるミルクによってダムが崩壊したかのように起こっているアレルギー症状だったのではないかと感じた。


入院中の昼間、一緒にいられる時間は母乳を飲んでいたものの、母体を休ませる事を重視する方針だったであろう産院の、有難いはずの赤ちゃんを預かっていてくれてる時間は、彼にとっては命にかかわる時間だったのだと生後3カ月にして知った。


退院後は母乳しか飲んでいなかったものの、母乳を介してアレルギーの原因である食物をとってしまうため、この日から私自身が息子のアレルギーの原因である食品をとらないという除去食の生活が始まりました。


彼のアレルギー反応は動物性のたんぱく質に強く反応するので私の料理のお手本は「肉食が始まる前の日本の食事」でした。


この日々の悩みを綴っていたブログがご縁で知り合ったアレルギーっ子を育てる先輩ママさんとの出会い。


『マクロビオティック』という玄米菜食の調理を知った事で、私の人生が大きく変わったと思うと、様々な出来事は決して偶然でもなく、無駄でもなく、起こるべくして起こった出来事だったのではないかと息子にも先輩ママにも感謝しかない。


この時譲り受けたマクロビオティックの本は今でも大切に持っている私の宝物です。


関東で出会ったリママクロビオティックに始まり、山口で出会った正食協会でのマクロビオティックの教室。その後の岡部先生の理論やクシマクロビオティック。


私の幸せは、同じマクロビオティックでもいっぽん道ではなく、たくさんの先生方の解釈を身体いっぱいに浴びて学べたことです。


今だからこそ知ってもらいたい、見直してもらいたいマクロビオティック。


「自然に即した命のあり方」


人も、植物も、生まれた環境と一体であること、自然の一部であるという事


そんなきっかけをくれた長男も二十歳になるこの月に感謝を込めて、学んだことを少しづつでも発信していきたいと心に決めた母20年目の水津真澄でした。


おめでとう。



まちゅらる ~恵里杏~

医食「農」同源をテーマに、食べ物や自然の持つ力で心も身体も健やかに(^^)五感で学ぶ大人の食育。 最新情報はInstagramをご覧ください。 恵里杏~めぐりあん~ 代表  水津真澄 megurian33@gmail.com